2021年5月に亡くなった三浦建太郎さんの漫画作品『ベルセルク』は2021年9月の最新話掲載を最後に休載しており、未完で終わる作品だと思われました。
しかし、三浦建太郎さんの親友・森恒二さんにかつてベルセルクのストーリーやエピソードを話していたことや、
構想メモとキャラデザインが見つかったことを理由に
漫画家・森恒二さんが監修の下「ヤングアニマル13号(6月24日発売)」から連載再開されることが発表されました。
再開後のクレジットは「原作・三浦建太郎 漫画・スタジオ我画 監修・森恒二」となります。
漫画家・森恒二先生の作品
- ホーリーランド -[ヤングアニマル]
- 自殺島 -[ヤングアニマル]
- デストロイ アンド レボリューション -[週刊ヤングジャンプ]
- 創世のタイガ -[イブニング]
- 無法島 -[ヤングアニマル]
ベルセルクの続編が森恒二先生監修の下、アシスタントが描く形で連載再開
三浦建太郎先生が森恒二先生にネームの相談をした際、ベルセルクのストーリーは完成していた
ヤングアニマル編集部 メッセージ
三浦建太郎さんは生前、親友である漫画家・森恒二さんに、『ベルセルク』のストーリーやエピソードを話していました。また、スタジオスタッフにも担当編集にも話していました。それは言い残していったというわけではなく、こんなこと描いたらみんなびっくりするかな、こんなキャラクターはどうかな、この展開は面白いかな、と漫画家として当たり前の日常でした。
その日常は四半世紀以上に及んでいました。長い時間を三浦さんと過ごした我々の頭と心には、三浦さんの想いが積もっています。三浦さんが描いた構想メモとキャラクターデザインも見つかりました。
それらをファンの方々の誰にも伝えることなく物語を終わらせることに、強い抵抗感があります。いま我々が持ち寄ったラストエピソード・最後の一コマまでを読んでほしいのです。
森恒二先生 メッセージ
今から三十年近く前、自分は三浦から「ネームの相談にのってくれ」と呼び出されました。いつもの事だったので遊びついでに彼の仕事場に行くといつもより深刻な顔をした三浦が「蝕をやらないといけない」そう言ったのです。自分は(そりゃあ大事だ)と思いましたがまさか1週間も軟禁されるとは…。正にその時『ベルセルク』のストーリーは最終回までほぼ完成したのです。
恐ろしい事にそれから殆ど変更なくあの時に完成したあらすじ通りに物語は進んでいました。それから幾度も大きなエピソードの度に三浦と話しました。自分達は学生の頃からお互い同じように相談しながら漫画を描いてきたのです。 勘の良い方々は予想していたと思いますが自分は『ベルセルク』の最終回までの物語を知っています。しかし知っているから描けると言うわけではありません。『ベルセルク』と言う偉大な作品は天才三浦建太郎だから描けるのです。 しかし自分には大きな責任が生じてしまいました。 生前三浦は「最終回までのストーリーは森ちゃん以外誰にも話していない」
そう言っていたのです。そしてそれは事実でした。あまりに重すぎる責任です。インタビューでもしてもらってファンに向けて話せばいいだろうか? それともイラストを付けた文章でも掲載してもらうか…。しかしそれでは三浦が自分に話した情景、ガッツやグリフィスの台詞は伝えきれない…。悩んでいたところに連絡が入りました。 「絶筆した回の原稿をスタッフが最後まで描くと言うので見て欲しい」その回の後ろ数ページは完成していませんでした。キャラを入れてないところもある。自分は内心厳しいだろう…と思いつつ原稿を見ました。――必死の力と言うのは時に人を奇跡的に向上させます。そこには正に『ベルセルク』の完成原稿がありました。「森先生、自分達にやらせてもらえないだろうか」
三浦自慢の弟子達は真っ直ぐ自分に伝えてくれました。三浦と自分の恩師である島田取締役も「やるなら会社は全力で支える」そう言ってくれました。ここで逃げれば三浦にこう言われるでしょう。「散々話したのにやってくれなかったのかよ!!」わかった。ちゃんとやるよ。 皆さんにお断りと約束があります。なるべく詳細を思い出し物語を伝えます。そして三浦が自分に語ったエピソードのみやります。肉付けはしません。はっきり覚えてないエピソードもやりません。三浦が自分に語った台詞、ストーリーのみやります。当然完全な形にはならないでしょう。しかし三浦が描きたかった物語をほぼ伝えられるとは思います。三浦の弟子達の腕は本物です!素晴らしい描き手です。三浦不在の『ベルセルク』に不満不服あると思いますがどうか見守っていただきたいと思います。よろしくお願い致します。
引用元:『ベルセルク』再開のお知らせより
三浦健太郎先生は約30年前、
ベルセルクのストーリーで蝕に突入する前に森恒二先生にネームの相談をし、
1週間缶詰状態の末、ベルセルクのストーリーがほぼ完成したそうです。
森先生曰く、ベルセルクは蝕の後の展開も殆ど変わらないままストーリーが進んでいるとの事です。
「幻造世界篇/妖精島の章」のラストまで6話分を掲載後、新篇に入る予定
妖精島の所はあと6話で終了し、その後も新篇に入り、森恒二先生とスタッフさんで完結まで連載してくれるそうです。
ベルセルクの物語は今後、二度と最終回を見る事は出来ないだろうと諦めて
「トラウマは払拭できなかったけどキャスカが心を取り戻せて良かった。
最後にグリフィスが現れて続きが気になる展開だけどこれはこれでエモい終わり方だ」と勝手に納得していましたがこれは嬉しいです。
流石に三浦建太郎先生が最終話までネームやメモを完全な状態で残している訳が無いと思っていましたが
まさか自殺島の森恒二先生と友達で 30年前のネーム相談の際にストーリーを一緒に完成させていたのは驚きました。
ヤングアニマルを扱う白泉社取締役の島田さんも動いているのでかなり大掛かりな連載再開となっています。
ベルセルクの続きを監修する森恒二先生と描いてくれるアシスタントさん、連載再開までに持ち込んでくれたスタッフさんには感謝しかないです。
ヤングアニマルでベルセルクが連載再開、評判はの方は…
三浦健太郎先生の巻末コメント
三浦健太郎先生は漫画の描きすぎで身体が悲鳴を上げていた事がわかる巻末コメントが話題となりました。
30年前からずっと漫画を描き続ける生活で、休みはほとんど無いという生活スタイルでした。
三浦健太郎先生 巻末コメント
40℃の高熱でダウン。考えてみれば今年はまだ2日しか休んでない。(1993年・12号)
な~~んもせんのに5キロやせた。なぜだろう???(1993年・21号)
この2か月で平均睡眠時間が4時間を切った。これでもうすぐ里中さん。(1993年・23号)
引越し以来、平均睡眠時間が4時間を下回る。ガ、ガンムになる。(1994年・16号)
ひと月半ぶりに休みがとれて外出したら熱射病にやられた!!(1995年・17号)
マンガ家人生初めての大連休は沖縄へ。4日中2日半を熱射病で倒れてました。(1998年・19号)
まずしい人間関係が私を机に向かわせる原動力。(2002年・21号)
俺の休みは2か月に半日。もう4年も2日続けて休んでない。
そろそろあちこちガタがきてる。(2004年・23号)
過労でまた倒れた。グインの百の大典行きそこなった。うえ~ん!(2005年・9号)
月に2回も風邪で倒れたのは生まれて初めてです。(2007年・5号)
7月で27歳、ふり返ればマンガだらけの27年、これでいいのか?(1993年・14号)
毎年の事だけどクリスマスも正月もお仕事。たまにはおせちが食べたい。(1994年・3号)
ひと月半ぶりに休みがとれて外出したら熱射病にやられた!!(1995年・17号)
映画の後は都庁横のロイホで必ず友達と寸評会して始発までいる。(1996年・1号)
新年会にむけて服や靴を買った。スニーカー2足しか持ってないんですよ、ボク。(1996年・2号)
7月で30。振りかえれば金太郎飴の様にマンガばかり描いてたな。(1996年・12号)
ひと月半で外出できたのはジョナサンでメシくった2時間だけ。プチひきこもり?(2001年・24号)
長い間、人に会わないと口がうまくまわらなくなる。(2002年・7号)
まずしい人間関係が私を机に向かわせる原動力。(2002年・21号)
30代もあとわずか。マンガ以外何もないイビツな人生だがもうとりかえしがつかないのでこのままGO!(2006年・2号)
今年もひきこもるぞ━━! (2006年・3号)やっぱり、ひきこもるのはさみしーのでやめます。(2006年・4号)
忙しくて1週間外出できず、もはやチョコレートは貴重な食料と化しております。
ありがとうございました。(2006年・6号)
休載の間もずっと兵隊を描いてました。(2007年・3号)
俺の体の2/3はカロリーメイトで出来ている。
・・・ということはベルセルクの2/3は大塚製薬の提供か?(2009年・19号)
今年は桜を一度も肉眼で見ることができませんでした。(2011年・10号)
引用元:ヤングアニマル巻末コメント
南無三
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