【優しさに見えて無責任】「辛い時は逃げてもいい」を間に受けて逃げ続けた結果どうなるのか

人間関係、コミュニケーション

「辛い時は逃げても良い」という言葉は無責任でもある

人生は楽しいことがある分辛いことも多くあり、何度も逃げたくなる場面に直面します。

長い間辛い状況に身を置いて心が弱ってしまっている時は判断力が鈍ってしまいますが、知人かあるいはインターネットに転がっている「辛い時は逃げても良い」という甘い言葉を間に受け取ることもあります。

インターネットでは特に「今自分が欲している言葉を無意識に探している」こともあるので、そういった甘い言葉を見つけに行ってしまうこともあるかもしれません。

しかし、その言葉を発信している本人がケツ持ちしてくれることは無く、当たり前ですが逃げた責任は自分が担うことになる場合がほとんどで、

辛かったら逃げるというのは必ずしも良い方向に転ぶとは限らず、レールから外れて人生詰みとまではいかずとも前よりもキツい状況が待ち受けることもあります。

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【戦略的撤退】辛い時に逃げてもいい場合は確かにある。逃げてもいいという言葉の意味

「辛い時は逃げてもいい」の言葉は

  • 「視野狭窄に陥っているかもしれない人へ視野を広げるためのアドバイス」
  • 「別の道の模索する提案」
  • 「死ぬぐらいなら逃げた方が良い」

ぐらいのニュアンスがほとんどで、ただ辛いだけで本当に実りも得られるモノも無い時は逃げた方が良い時もあります。

しかし、逃げるにしても何事にも向き合う前に少しでも不快なことがあったらすぐ逃げたり、逃げた後の事を考えずにノープランエスケープはあまりよろしい逃げ方ではありません。

ちゃんと計画を練った上で逃げ道を確保した上で逃げなければ、それなりのしっぺ返しが待っています。全て自分のためです。

「本当に辛いことからは逃げ続けて来たけどなんとかなった」という人もいるかもしれませんが、それはその人に元々の自力があったか、単に運が良かっただけなことが多いです。

嫌なことから逃げていいかどうかの判断も難しい

人生で何度かある逃げてはいけない勝負どころや山場からはあるので、そこはちゃんと向き合う必要もあります。

逃げるか耐えるかの選択肢どちらを選ぶか、もしくは新たに選択肢を増やせるかは才能なのかもしれません。

辛いけどその先にあるのが自分にとってプラスに働くと確信できるなら辛くても耐えられる気もします。ただ、世の中の物事のほとんどが進捗がわからないので炭鉱を掘り進めて宝が目の前にして諦める風刺画のようになっている気がして…

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