ここで言う[無敵の人]はネットスラングを指し、
社会的に失うものが何も無い人が犯罪を起こす事に躊躇いが無くなる人の事を言います。
生活困窮者で身内関係がなく、社会から断絶されている人がなりやすいとされています。
無敵の人という単語は2008年頃に生まれ、2022年11月に起きた京王線で起きたジョーカー事件から
失うものが無く、躊躇なく犯罪を犯す人に対して「無敵の人」「ジョーカー」という単語が頻繁に使われるようになりました。
無敵の人が増える原因は不景気によってどうしようもない状況が増えた事
[無敵の人、いわゆる失うものが無くなった人]が増えたのは、
不景気が進んで格差が広がり、貧困層は国からの保護を受けられずに「それを自己責任」だと弱者を切り捨てる風潮もあるからです。
不景気になる事で「無敵の人になった時に道連れにする」という考えを持つ人(考えるようになる人)が
生活困窮者に陥る可能性が高くなります。
普通にサラリーマンをして生活をしていた人が、
ある日事故に遭って家族を失い、事故の後遺症で自分も仕事ができないという状況になった時も
「それも自己責任だ」と周りは助けてくれません。
こういった理由で絶望的状況に陥った時に、
「自分に嫌がらせした世界にやり返してから死のう」という考えにたどり着きやすくもなります。
[無敵の人が発生しないために]日本の場合は見て見ぬふりをしているのが良くないとされている
例えば、クラスでいじめられている子がいたとして、
「良かれと思って動くと悪い方向に回る」「自分もリスクをとらなければいけない」と
助けずに見て見ぬふりを続けていると
追い詰められたその子が「死ぬ前にいじめっ子と助けてくれなかった人全員にやり返してから死のう」と最終的に考えついてしまい、
いじめっ子、見て見ぬふりしていた人達諸共道連れにするという事が社会でも同じように起きてしまいす。
見て見ぬふりを続けていると低確率で自分に牙を向く場合があるので、
まずは目の前に起きている事に対しても見て見ぬふりをやめて、干渉していく必要があります。
いじめられっ子がいじめっこに復讐する映画[キャリー]
[対策]無敵の人を増やさないために見て見ぬふりをしない
社会的弱者に対して[自己責任論]を振りかざしたり、見て見ぬふりを貫くと無敵の人が生まれやすくなるのは事実だと言えます。
しかし、効率が求められた社会で生きてきているうちに、無意味なリスクを背負う事は避けられるようになり、
漫画の主人公のような「損することはわかっているけど首を突っ込む」「強大な力を持った弱者を救うヒーロー」みたいな人も食い物にされる世の中です。
景気が厳しくなっているため「自分の事で精いっぱい」「他の人の負担を背負えない」という人もたくさんいて、
他人に手を差し伸べられない人も増えている負のスパイラルに陥っています。